桃組家族のアートブース

by momogumi5255

俺の不思議な体験・その1

この話は私の同級生が書いたもので、本人の許可を得たものです。
私たちが生まれ育った場所と、彼の夢が明かされて行く、とても興味深いお話なのでここに記します。 桃組
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野沢の隠された歴史
作/山本 滉

それは約8年ほど前、俺が本当に経験した不思議な出来事でした。

 世田谷のある病院の待合室で、暇だったので週刊誌をパラパラと読んでいました。飽きてしまい他の本に目を移した時、ふっと1冊の小さな本が目に留まりました。『下馬史』という本で自費出版らしく、著者は高橋信次郎と書いてあり地元の方でした。勿論俺は知るよしもありません。下馬というところは、俺が生まれ育った野沢の隣町で、仕事場でもあり子供の頃からのホームグランドのような所です。

 その頃俺は毎晩同じ夢を見ていました。
夢というのは朝起きると全部覚えていない事が多いのに、何故かその夢だけはいつもはっきりと覚えているのです。何度も同じ夢を見たせいかも知れません。でも恐ろしい夢では全然ないのです。
では、これから俺のその夢の内容を聞かせて・・・いや、聞いて下さい。

 俺は何人かで散歩をしています。それは必ず夜でした。道の両脇には、背の高い木々が何本も建っていて、土の硬い登り坂、階段のような道を歩いていると右側の方向から
「ジャブ、ジャブ、、」
と海の波のような、川のせせらぎのようにも、そうかと思うと水の流れがやたらに強く感じる、そんな音が聞こえてくるんです。俺はたぶん川が流れているんだと思っていました。そして、その音を気にしながら坂を上がろうとすると、その音に気を奪われ邪魔されてしまい、なかなか頂上迄辿り着けないのです。でも、なんとか頂上近くまではみんなで登っていました。道はとてもとても暗いのです。夢はここで必ず終わり目が覚めるのです。不思議な事に枕元の時計は2時半なのです。何度その夢を見ても目の覚める時刻は同じでした。その頃は仕事も忙く、疲れていたので夢の事も気にせず、すぐにまた眠りに就いていました。



その同じ夢を繰り返し見ているいつの間にか、階段の一番上に鳥居のような祠のような何か小さなお堂のような場所に辿り着く記憶が俺の夢に加わりました。でもそれ以上その夢は、先には進みませんでした。出てくる夢は相変わらず、土の階段を上り、背の高い木が両側にあり、水の流れるジャブジャブする音が必ず聞こえてきて、途中でひきかえそうになるけど、上っていくとそこに祠のような建物があり。。。いつもそこ迄で夢は終わっていました。現実には過去に見た事もなければ、まして行った事も無いので、俺はなんなんだろうといつも不思議に思っていました。
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 現実に戻ります。3月頃、例の病院に再度診察に行きました。待合い室であの本が他人に読まれてなく、本棚にありました。俺は又読んで見ようと手にとりました。そう、「下馬史」です。本来俺は面倒くさがりなのです。漫画でもそうだけど興味を持った好きなページだけしか読まないのです。目次には15,6項目あり、下馬の村役人と村民。地名と字名。教育と消防。下馬の侠客。などなど。ハッキリ言って面白く無さそうだと思っていたところ、後ろの方になんと「野沢村の歴史」というのが目に入ったではありませんか。とたんに興味が湧き読み出しました。俺の家は野沢に親子3代住んでいるけど昔話など、爺さん、婆さんからも殆ど聞いた事が無く、せいぜい戦争の時あそこが空襲で焼けたとか、何処そこの誰は昔は土地を沢山所有していたとかそんな話ぐらいでした。「野沢村の歴史」が何で「下馬」の本に載っているのか不明でしたが、読んでいるうちになんとか理解出来ました。それにはこう記されています。徳川時代初期。村落の開発が進められていた。正保、慶安の頃、下馬の1部を「たった原」と云われた御料所に数名の開拓の者が現れた。葛飾群の野村治郎右右衛門と六郷領沢田村の田中七右右衛門の2人で当時の群代伊奈半十郎がこれを管轄して、2名の野村と沢田の1字を取り「野沢村」の由来らしい。なるほどねー。そんな大昔の話はとても俺の親も、爺婆も知る訳無いし、せいぜい駄菓子屋が、昔あそこの角の所に店を出していた事位なものでした。読み進めていると野沢村は明治維新まで代官の管轄と書いてあった。又、近所にある今の龍雲寺と云う寺も天台山地見寺という名だったと言う事もわかり何だか少し知識が増えた様で、楽しくなり続けて読んでみようと面白くなって来た矢先、「山本さ^−−ん診察室1番にお入りくださあーい。」途中だけど診察に呼ばれたので、ではこの前の胃カメラの結果聞いてきます。残念。
 今、診察室から出てきて俺はまた本を開きました。面白いことに、下馬と云う地名も昔は、馬引沢村と呼ばれていました。本の始めに、江戸名所図会抄の絵に載ってました。子供の頃の遊び場と云えば野沢の鶴ヶ久保公園と言うところで、良く遊んだものです。鶴ヶ久保公園という名もその昔は呼び名が違い、そこには大蛇が巣を作り居たのだという地元では伝説の場所でもありました。野沢という所は1〜4丁目迄あり3丁目が比較的道も広く、閑静な所です。下馬に隣接してるせいか、広く感じる土地で著者「高橋信次郎(のぶじろう)さんもこの土地の方でした。そんなある日、又あの夢を見るのです。さすがに何度も見るので、知人に2人程この夢の話をしましたが関心の無いようで、俺も日が経つにつれ頭から遠のいていました。

 3月も少し過ぎた頃野沢の2丁目の町会長から何か野沢の町で、イベントをやろうと云う話が持ち上がりました。10数名でいろんな企画の意見が出ました。縁日、野球、バザー、人形劇、紙芝居等、、、、本来自分は、学芸会以来そういう事には携わるのが嫌いなもんで他人事の様な顔をしていたけど、連夜集まってもこれでという案も出なく悩んでいました。乱痴気パーティとかソウルならともかく、かったるい思いで早く決まらないかなあと思ってたとき、医院の待合室で目にした、あの「下馬史」の本の中に野沢の歴史が出ていることを思い出し、ポツリと言ったのが、皆異口同音に
「それだ!その企画にしよう!」全員満場一致でした。
「しまった!!」いや、1人だけ反対者がいました。そう、この私です。
余計な事を言ったばかりに実行委員にされ、それがメインになってしまい、他は、若手によるバンドの2本立てで決定し、すぐに企画に入る事になってしまったのです。さすがに俺も余計な事を言ってしもうたと思いつつも、しかしあとの祭りでした。

つづく
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by momogumi5255 | 2008-09-09 12:45 | お知らせ