桃組家族のアートブース

by momogumi5255

俺の不思議な体験・その2

この話は私の同級生が書いたもので、本人の許可を得たものです。
私たちが生まれ育った場所と、彼の夢が明かされて行く、とても興味深いお話なのでここに記します。 桃組
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野沢の隠された歴史
作/山本 滉

その2

  俺はそのおかげで忙しくなり、まだ肌寒くハーフコートを着て、患者としてではなく再び例の医院へと行きました。あの『下馬史』の本をお借りしたいと顔見知りの院長に理由を告げ頼んだところ快く貸してくれました。しかし「この本は患者さんが自費で出版した非売品なので、無くさない様にしてください。」と云われました。なる程ここに通院しいてる患者さんが作者の高橋さんで、この本を地元の医院に贈呈したんだ。『下馬史』はそれ程大きくはなく、ページ数も170P位で薄い本でした。以前待合室で読んだ時はパラパラと捲っただけなので、お借りしてとりあえず家でじっくり読むことにしました。

「町会では余計な事を口にしちまったな。本来無責任きわまりない俺に任せる方も任せる方だよな。」
面倒で俺は後悔ばかりしていました。案の定その夜俺はその本は読まずに寝てしまいました。しかし、口に出した手前やらざるを得ません。翌日、野沢史の障りの部分だけところどころ読み、たいした歓喜もないまま企画の集まりに出かけて行きました。若いバンドの子達は自分らの演奏する曲が決まりとんとん拍子で流れが出来てきましたが、こちらの方は、どういうふうに肉付けしようか頭を抱え悩んでいました。

 さて、次の日曜日がやってきて、この野沢の歴史を町会でいよいよ本格的に検討していくうちに、
「いっその事、この本を執筆したご本人に詳しい話しを聞きにに行こうか。」
と云う意見がでました。俺は、少しずうずうしくはないかとも思いましたが、町会長は俄然乗り気満々で、是非菓子折持参でご挨拶がてら伺おうと、こうきたもんだ!そして、
「趣旨として、今回町のイベントで使わして頂くので是非、貴殿にこの本を書くきっかけと、当時の事を詳しく話しをしていただけないですか?」
と電話で面会を申し出たところ先方の方でも、
「是非、自宅にいらして下さい。」
とこころ良い返事が返ってきた。6人位でお宅へ伺うこととなり、早速午後に集まることにしました。いいだしっぺはこういう時辛く、結局俺がこの本と医院の待合室で偶然にも遭遇し、少し大袈裟かな?興味を抱いて読んだ訳だけど勿論この時点でも実は、半分も読んでいないので、感想など述べられる状態ではなかったのです。ただ、野沢の事がほんの少し解って嬉しいと言う素直な気持ちだけは事実だったけど。
この時点で俺が読んだ箇所で覚えていたのは、母校旭小学校の創立と、鶴が久保公園、龍雲寺のもう一つの呼び名が有るという事、後は聞き覚えのある商店街の人達や旧家の同級生の家系図のようなものと、昔ここいらは畑で農作物が盛んに営なまれていたというそれぐらいの事で、これを著者から聞いても10分位の内容にしかならないような気がしていました。あっ、それと昔ここいらは用水路が有り水車が使われていた。そんなことぐらいでした。





 その日は曇り空で風も冷たく、集合の昼過ぎになっても少しも暖かくならず寒いさなか、高橋宅へ向かったのです。
今回の構想について少し話しながら俺たちは歩きました。
「まず、第一にこの本の内容を自分達の都合のいいように、改ざんしたり、非難、中傷になる事は一切避けよう。あくまで、ご本人に迷惑のかからない様にすることを決めよう。見たり聞いたりする人が懐かしい思いと、地域でも普段は気が付かなかったことに感銘するようなものを目指しているのだという、そんな決まり事を守りながらやろう。」
そんなことを事前に話し合いました。おっと、喋っているうちに、高橋さんのお宅に着いてしまいました。大きな立派なお宅で3階に招かれ、奥さんと可愛いまだ4歳位のお孫さんがいました。今回の趣旨を端的に説明し、自分達も親の代からこの地に住み、何か地域の為になるような事をやろうとして、たまたま読んだ『下馬史』がきっかけとなり、、、、、、、、その辺迄の経緯を自分より遥かに、聡明で律儀な一人が話し出しました。ご本人は穏やかな人柄らしくにこにこしながら聞いてくださり、
「こんなに、大勢の若い人達がこの町の事に真剣に取り組んでくれるとは、自分の方こそ嬉しい限りです。喜んで協力させて頂きたい。」
と有り難いお言葉を頂きました。調子にのりついでに、こちらは出された栗羊羹をぺろりと、最初にぱくついたのは俺でした。
高橋さんはご高齢の為、耳が少し遠く補聴器を使われており俺等も少し大きめな声で会話をしました。
高橋さんは、戦争の経験を淡々と話し始めました。
昭和17年にニューギニア、ポートもレスピー攻略に参加。横須賀港を出た時の事、ガダルカナル島沖海戦に参加して海軍1等兵曹になり、19年6月19日旗鑑、大鳳が爆発、沈没して負傷した事など。後に神雷特攻部隊に移り館山の海軍航空隊付となり、やがて終戦を迎えるに至った迄の戦争の体験談でした。ましてや最前線で戦った方の言葉はあまりにも重いものでした。昨今くだらなく生きてる人間がいる事も事実で、この方の胸中には、誰人も入れない寂しさと、悔しさと、虚しさが有ることを痛感しました。目先のくだらない事にこだわる自分の愚かさも同時に痛感しました。
そんな話も終わりかけて、当時の企画とは少し変更して文面で野沢の町を、知ってもらうのではなく、高橋さん本人が協力して頂けるのなら、いっその事インタビュー形式にして地元のご年配の方を交えて対談式にした方がまとめやすい。それをビデオに納めて、当日参加してくれる客に映像で見て貰う方がわかりやすいと言う事になった。いわゆる、我々が早い話ルポライターのような役割だ。高橋さんも勿論賛成でした。なんでこんな意見が出たかと云えば、ヒントは数か月前に俺達の仲間でソウルのビデオを洒落のつもりで60分ビデオを作りあげた事があった。制作には3か月程かかり友人にも出て貰い楽しいビデオが完成した。その時の制作行程、映像、編集を手がけてくれたH君がいて、その彼の意見でした。(このH君、現在はフランスに住み映画を作っているとメールで受信) 高橋さんが動いてくれると言う事で、かなり内容が濃く成ることは間違いないと皆大喜びでした。ただご高齢なので、無理のないようにとの注意等もありましたが、どこ吹く風でご本人凄くパワーがあり、この土地の有力者とか、一番先祖代々から古く住んでいる人のお宅へ同行してくれると云う事となりました。お陰で周りの事も良くご存知だし本よりも肉声でまとめられるのでかなり詳しく出来る運びとなりました。進めてくうちに我が母校の旭小学校が、明治13年創立。かがし郷とこの辺は呼ばれていて、駒沢小が創立した時に、大正14年に分校として独立したらしいという事が解りました。ちなみに、当時の先生は2人だけだったとのこと。他には、変電所の事やIさんと云う人の先祖が、あの忠臣蔵の世田谷吉良氏の家臣で、徳川時代中期野沢村に分家したこと。とにかくむちゃくちゃ詳しい。T一族が先の開拓者6代目で、いわゆる現在の広大な生産地をもっていて力のある方で(財)を成したらしい。造園土木では日本一だったという。あと・旧家では、同級生の実家でNさんという方。この3名の方の家を案内してくれる事になりました。

 1軒のお宅へお邪魔する事となり、1番最初に行ったのは同級生の実家でNさんというやはり旧家で水車橋というバス停付近のお宅でした。早速ビデオを回し始め、高橋さんの後に続きました。本にも書いてあるそうですが昔この辺りは畠が多く、品川用水路となってたそうです。Nさんには、高橋さんの馴染みで別に連絡をしなくても構わないと云う事で直接お伺いしました。お会いすると快く迎えてくださり世間話から始まり、当時の事をご本人も懐かしい思いでを掘り起こすように話してくださいました。外はまだ寒く立ち話も何だから家のなかへと勧めてくれたのですが、大勢いるのでと俺たちは遠慮しました。
「それでは、実はここは水車があった場所で、関東大震災で焼けて壊れてしまいましたが、その時の水車の羽が今も大事に当時あった所に保管してあるのでお見せしましょう。」とおっしゃるのでした。皆も、
「実物を見られるのなら是非お願いします。」
と言うことで案内して頂いきました。高橋さんはというと時折り補聴器のボリュームを調節していましたが大丈夫そうです。家の前を通り団地の手前の所で、Nさんは右へ曲がって行きました。
「こんな所にきちんと保存してあるんだ!」と皆で呟きながら高橋さんとNさんの後に続き団地の脇から入ったその時です。
「あれっ、おかしいな?こんな所今まで来たことも無いのに、何故か見たことのある場所だ。」
と俺は思ったのでした。昼だというのに日陰になってる道にあしを踏み入れたとたんに、背筋がぞくぞくしはじめました。

!!!
「ここだ!なんと今まで、何回も夢に出てきた場所じゃないか!」
そうだったのです。自分でもしばらく頭がぼーっとしてきたのを覚えています。でも、そんなことは、他の人達は知るはずもなく、階段を上って行き、そして右側を指さし
「ここが、水車のあとで、羽の残骸がこれです。」
と云って見せてくれました。そして、真っ直ぐ階段の一番うえの正面を見たとき俺は、顔面蒼白となりました。そこには、、、、古いとても、小さな祠が祭ってあるではないですか!!鳥肌が立つというか、髪の毛が逆立つような生まれて初めて本当の意味で恐ろしくなり、この祠がどういう理由でここに納められているのか、とても俺には聞く事が出来ずにいました。他のひとりが、訪ねようとしたとき新たに自分の目に映ったものがありました。水車とは反対の左側に、7体の石碑が古ぼかしく安置されているなです。そう、あの夢が今現実の俺の目の前に見えてるのです。

つづく
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by momogumi5255 | 2008-09-09 12:45 | お知らせ