桃組家族のアートブース

by momogumi5255

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1~4話

★まだ掲載していなかった一章から最終章まで、続けてご覧ください。

野沢の隠された歴史
作/山本 滉





 俺は『下馬史』の4ぺージ〜8ぺージ迄をじっくりと読んで見た。ここも初めて読むが、この野沢の町が実はかなり奥深いことを知ったのです。平安後期から鎌倉時代、南北、室町時代、そして、喜多見世田谷から野沢、北条、徳川旗本などなど意外な事がこの4ぺージ間に書かれている。歴史の知識にもなるようでここを読んでから先程の三つ目の事件と連想して色々と思い浮かんだのです。
それから、数日して高橋さんより電話が有りました。
「あなたが、私の変わりに例の事件の事を、Tさんに聞いてきて欲しい。」
とおっしゃるのですが、
「自分のような若僧に教えてくれるはず無いですよ。」
と丁重にお断りしました。そりゃあ俺は人一倍好奇心が強いから聞きたいのはやまやまでしたが・・・。

それからいよいよ10日後日曜日にイベントは開催され、大反響で高橋さんも勿論来てくれたました。当然この方無しでは今回の事は語れない。満足してくれ良くここまでまとめあげましたね、とまで誉めてくれましたが、その顔の中にはやはり、取りこぼしてる物があるというのも、感じとれました。大成功で終わったイベントでした。バンドの演奏も迫力が有り、充実した日で終わる事ができました。
しかし、その1週間後、悲しい知らせが有りました。5名でやったバンドの1人の。。。君が、昨日バイクで上馬の環七の立体の所で事故で亡くなると言う知らせでした。まだ、当時22歳だったと思います。実は俺は彼と最後に会った時、彼の体が透けて見えたんです。とても嫌な予感が的中してしまい、我ながら恐ろしく感じました。ショックでした。お葬式はこちらではやらずに、故郷で荼毘に伏されました。

1冊の本から始まりいろんな事を知る事ができました。最後にこの本を書いた高橋さんの想いというのは、戦争に行き、友を亡くされその人達と苦しみを共にした人達、又、家族、新時代の若者へ、一兵士の歩みを記録に止め、戦争の悲惨さと、平和の尊さを汲み取っていただくのも意味の無いことではないと、締めくくられています。自分もこれが著者のこの本をかいた本当の意図だとの思いでした。尚、4年くらい前に大きな葬儀がありました。田中こうじ と出ていました。これで最後の一つを語れる人はいなくなってしまいましたが、これはこれで、ミステリアスなままの方が良い気がしました。
高橋さんも現在も健全で2月に1度位町で、お見かけします・あの頃と少しも変わらず、笑顔で話しかけてくれます。「終」
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by momogumi5255 | 2008-09-09 12:51 | お知らせ
野沢の隠された歴史 

作/山本 滉

ここは夢が現実となり何度も見たはずの場所でした。解ったのは、まずこの祠は野沢山正徳寺という名で水車建設の時に、実は七体の人骨が出て大騒ぎとなり、その霊を供養する為に建てられた寺であるという事。そのN氏のご先祖が日蓮宗の高僧に頼み大供養をしたそうです。そのときの高僧の話によれば七体の人骨は相当名のある武士の遺骨に相違なしとの事。安霊を祈り守護たまわらんとし、南無妙法連華経の題目を7万写経し、そのうち3万を水車の棟木に、1万を品川用水に流し、3万を正徳寺に納め施餓鬼供養したとの事実がありました。

  後に昭和45年2月。N氏立ち会いのもとに開箱したところ記録通り写経3万がちゃんと箱に納蔵され、箱のふたには前出の事と明治36年8月と記されてあったとのことです。この記事のところは何故か本を借りた時も飛ばして読んでいて、まったく気が付きませんでした。しかし、たまたま読んだ本と俺の夢とがこんな繋がりになるとはとても驚きでした。この本によれば、当時は沢山の木が茂っており水車が勢い良く動いていたそうです。おそらく俺が見た夢は当時の風景のそのままの景色と水の流れる音に間違いないようです。以上がこの水車小屋の場所と繰り返し見た俺の夢との話だったのですが、もしかしたら俺の前世がそこで倒れた七人の侍の一人なのではないか、などと云う人間もいます。まさかと思いつつも・・・・

 余談になることがもう少しあります。もう終わりたいのですがあと少し聞いて下さい。

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by momogumi5255 | 2008-09-09 12:46 | お知らせ
この話は私の同級生が書いたもので、本人の許可を得たものです。
私たちが生まれ育った場所と、彼の夢が明かされて行く、とても興味深いお話なのでここに記します。 桃組
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野沢の隠された歴史
作/山本 滉

それは約8年ほど前、俺が本当に経験した不思議な出来事でした。

 世田谷のある病院の待合室で、暇だったので週刊誌をパラパラと読んでいました。飽きてしまい他の本に目を移した時、ふっと1冊の小さな本が目に留まりました。『下馬史』という本で自費出版らしく、著者は高橋信次郎と書いてあり地元の方でした。勿論俺は知るよしもありません。下馬というところは、俺が生まれ育った野沢の隣町で、仕事場でもあり子供の頃からのホームグランドのような所です。

 その頃俺は毎晩同じ夢を見ていました。
夢というのは朝起きると全部覚えていない事が多いのに、何故かその夢だけはいつもはっきりと覚えているのです。何度も同じ夢を見たせいかも知れません。でも恐ろしい夢では全然ないのです。
では、これから俺のその夢の内容を聞かせて・・・いや、聞いて下さい。

 俺は何人かで散歩をしています。それは必ず夜でした。道の両脇には、背の高い木々が何本も建っていて、土の硬い登り坂、階段のような道を歩いていると右側の方向から
「ジャブ、ジャブ、、」
と海の波のような、川のせせらぎのようにも、そうかと思うと水の流れがやたらに強く感じる、そんな音が聞こえてくるんです。俺はたぶん川が流れているんだと思っていました。そして、その音を気にしながら坂を上がろうとすると、その音に気を奪われ邪魔されてしまい、なかなか頂上迄辿り着けないのです。でも、なんとか頂上近くまではみんなで登っていました。道はとてもとても暗いのです。夢はここで必ず終わり目が覚めるのです。不思議な事に枕元の時計は2時半なのです。何度その夢を見ても目の覚める時刻は同じでした。その頃は仕事も忙く、疲れていたので夢の事も気にせず、すぐにまた眠りに就いていました。

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by momogumi5255 | 2008-09-09 12:45 | お知らせ
この話は私の同級生が書いたもので、本人の許可を得たものです。
私たちが生まれ育った場所と、彼の夢が明かされて行く、とても興味深いお話なのでここに記します。 桃組
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野沢の隠された歴史
作/山本 滉

その2

  俺はそのおかげで忙しくなり、まだ肌寒くハーフコートを着て、患者としてではなく再び例の医院へと行きました。あの『下馬史』の本をお借りしたいと顔見知りの院長に理由を告げ頼んだところ快く貸してくれました。しかし「この本は患者さんが自費で出版した非売品なので、無くさない様にしてください。」と云われました。なる程ここに通院しいてる患者さんが作者の高橋さんで、この本を地元の医院に贈呈したんだ。『下馬史』はそれ程大きくはなく、ページ数も170P位で薄い本でした。以前待合室で読んだ時はパラパラと捲っただけなので、お借りしてとりあえず家でじっくり読むことにしました。

「町会では余計な事を口にしちまったな。本来無責任きわまりない俺に任せる方も任せる方だよな。」
面倒で俺は後悔ばかりしていました。案の定その夜俺はその本は読まずに寝てしまいました。しかし、口に出した手前やらざるを得ません。翌日、野沢史の障りの部分だけところどころ読み、たいした歓喜もないまま企画の集まりに出かけて行きました。若いバンドの子達は自分らの演奏する曲が決まりとんとん拍子で流れが出来てきましたが、こちらの方は、どういうふうに肉付けしようか頭を抱え悩んでいました。

 さて、次の日曜日がやってきて、この野沢の歴史を町会でいよいよ本格的に検討していくうちに、
「いっその事、この本を執筆したご本人に詳しい話しを聞きにに行こうか。」
と云う意見がでました。俺は、少しずうずうしくはないかとも思いましたが、町会長は俄然乗り気満々で、是非菓子折持参でご挨拶がてら伺おうと、こうきたもんだ!そして、
「趣旨として、今回町のイベントで使わして頂くので是非、貴殿にこの本を書くきっかけと、当時の事を詳しく話しをしていただけないですか?」
と電話で面会を申し出たところ先方の方でも、
「是非、自宅にいらして下さい。」
とこころ良い返事が返ってきた。6人位でお宅へ伺うこととなり、早速午後に集まることにしました。いいだしっぺはこういう時辛く、結局俺がこの本と医院の待合室で偶然にも遭遇し、少し大袈裟かな?興味を抱いて読んだ訳だけど勿論この時点でも実は、半分も読んでいないので、感想など述べられる状態ではなかったのです。ただ、野沢の事がほんの少し解って嬉しいと言う素直な気持ちだけは事実だったけど。
この時点で俺が読んだ箇所で覚えていたのは、母校旭小学校の創立と、鶴が久保公園、龍雲寺のもう一つの呼び名が有るという事、後は聞き覚えのある商店街の人達や旧家の同級生の家系図のようなものと、昔ここいらは畑で農作物が盛んに営なまれていたというそれぐらいの事で、これを著者から聞いても10分位の内容にしかならないような気がしていました。あっ、それと昔ここいらは用水路が有り水車が使われていた。そんなことぐらいでした。

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by momogumi5255 | 2008-09-09 12:45 | お知らせ